本日発売された「サンデー毎日」10/20号の連載「星ふるふるさと」で、今年3月から先月まで大阪で開催されていた死体展「新・人体の不思議展」に関する感想を書きました。(
http://www7.ocn.ne.jp/~karada/ )
このイベントはもう7年前からたびたび開催されているものですが、今回は中国の工場でつくられた人体標本を一般公開しています。頭のてっぺんからつま先まで幅2センチ程度でスライスされた人、鼻先から後頭部まで縦にスライスされた頭、ぶつ切りの手、足、生殖器、胎児、鶏のささみのように皮膚や筋肉をはがされた人の標本もありました。プラスティネーションといって、体内の水分を抜いて特殊な樹脂を流し込み、自然な色つやのまま半永久的に保存できる技術によってこうした標本づくりが可能になったそうです。そもそもこの技術を開発したのは、ドイツのギュンター・フォン・ハーゲンスという解剖学者です。
このイベントは1995年に東大の総合研究資料館で始まったもので、その後、上野の国立科学博物館で大反響があったことを受け、翌年から全国を巡回するようになったそうです。98年にドイツで開催されたときは、生命の尊厳への冒涜である、などと大変な反対運動もありましたが、医学生に案内役をつとめさせることで医学上の必然性を主張し中止には至りませんでした。現在、ロンドンや韓国でもギュンターの標本を用いた展覧会が開催されていますが、こちらは馬に乗った人、チェスをする人などがすべて皮膚を剥がれた状態で公開されており、芸術か、生命の冒涜かで物議を醸しているようです。(
http://www.guardian.co.uk/gall/0,8542,669680,00.html )
いずれも自分のからだを知ることを目的としたイベントだそうです。たしかに自分のからだの構造をつぶさに観察できます。触ることもできます。ただ、目の前の死体は自分と同じ人間ではあるけれども、あくまでも他者です。私は大阪会場で、若い女性たちが騒ぎながら死体にさわったり、脳を持ち上げたりするのを見て、心おだやかではいられませんでした。これがもし自分だったら、あるいは自分の愛する家族だったらどうだろう。たとえ、望んで医学のために献体し、プラスティネーション化されたとしても、このような面白半分の人たちにいじられたくはありません。このイベントのある著名な監修委員の先生にそういったところ、日本人的な感想だなあと笑われました。日本人なのに、なぜ日本人的だと笑われるのでしょう。
そもそもこのイベントを見に行ったのは、ある生命科学のメーリングリストで、イベントに展示されていた同意書は通常の献体の同意書で、プラスティネーションや一般公開までは含まれていないのではないかという疑問が提示されたためでした。たまたま帰省する機会があったため足を運んでみてそのことを確認し、さらに主催者に取材してみたところ、確かに、プラスティネーションも一般公開も同意を得ていなかったことがわかったのです。しかも、公開されている資料の誤りや運営上の不手際もいくつか判明しました。問題点はそれだけではありません。いずれ明らかになると思います。
私は、死体を見ることによって自分のからだを知るという企画趣旨を否定するわけではありません。ただ、死者とその家族の意志があって初めてこうした展覧会は成立するのですから、その公開にあたっては、まずは死者と家族に敬意を表し、標本をそのまま持ち込むのではなく、公開方法に日本人としての配慮があってもよいのではないかと思います。中国人の献体については、日本人とシステムも考え方も異なるといいます。もし異なるのであれば、そのことをあらかじめ説明し、死生観の相違などにふれてから公開してもよいのではないかと思えました。葬儀や埋葬の方法、胎児についての考え方なども歴史的な経緯をふまえて比較すれば、なぜここに中国人の死体があるのか、さらに理解は深まったのではないかと思います。ちなみに、イベント冒頭に展示されていた解説文はホメオスターシス(環境に応じて体内を一定に保つ調節機構のこと)に関するものでした。いったいどこを見てだれに話をしているのだろうと感じました。<展示の主旨>(と主催者は書きます)には、生命の尊厳に配慮するとありましたが、これには苦笑しました。
私自身が現在、死はそう遠い場所にはないので、なおさら、人体標本となった人々とその家族のことを思い、憤りと違和感を覚えたのかもしれません。